(おそらく)『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』が企んでいること、そしてけしかけたいこと - ジゴワットレポート
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そもそもスーパー戦隊は44作品続いてきましたけど、かなり曲がり角に来ていると感じていたんです。仮面ライダーは裾野が広がって活気づいているんだけど、戦隊は人気こそあれど広がりがないな、と 仮面ライダーでは『仮面ライダーディケイド』辺りから手を入れて、その後10年以上保てたので、戦隊でも『ゼンカイジャー』の1年に留まらず、次のアニバーサリーに向けた種まきを直接していこうと思い、私がプロデューサーを務めることになったという流れです 46作品めという中途半端な代でなんでクロスオーバーみたいなことやろうとしてんのかとおもってたけど、もう50作品めを待ってられないぐらいギリギリって感じなのかなあ
「①色違いの全身タイツ戦士」という前提をやや崩し、極端に小さい者と極端に長い者をそれもCGで並べている。「②揃ってチームを組む」も、あくまで戦闘時だけ。オンラインゲームにログインするように、有事の際だけ仮面を被って揃う。素面では揃わない。だからこそ、「③キャラクター個々のエピソードを個人回で掘り下げる」というお馴染みの作劇の味が反転する。チームが揃っていないのに、揃っていないまま個人回をやる。同じ街ですれ違う人間ドラマ(群像劇)が戦隊ドラマに化ける。文字だけ見ると意味が分からないが、あっぱれ、これが実現している
CGがさすがにチープすぎて、それCGでやる必要あった?とおもっていたんだが、意図的な不揃い感を無理やり実現しているってことか
自分の身を挺してでも人を守る、そのヒロイズムは変わっていないと思います。ただ、人間関係は確実に変化しているのではないでしょうか。これはスポーツ漫画の変遷にも見られますが、一つの目標に向かってチーム全体が心を一つにして団結していくのが流行った時代から、今は、チームで戦うけれど、個人個人にスポットを当て、考え方や向いている方向が違っても、それぞれ魅力があると考える傾向にあります。ですから、スーパー戦隊シリーズも、5人揃ってナンボではなく、一人一人いろいろあるけどみんなヒーローだよねというふうにしていかないといけないし、本作では、子どもたちにそういう感覚を持ってほしい